マーベリック | まーべりっく | marverick |
直訳すると「一匹狼」、または「迷える子牛」。映画「TOP GUN」でトム・クルーズ扮するF-14ネイバル・エビエーター(パイロット)のピート・ミッチェル大尉のタックネーム「マーベリック」の方が印象的だが、米空軍が使うTV誘導空対地ミサイルにもAGM-65「マーベリック」というのがある。AGM-65はベトナム戦争中に開発された誘導兵器で、F-4を使って試験や実戦で多く使われた。初期のものはTVモニターに映し出された目標をロックオンする方式で、対戦車攻撃に高い命中精度を誇った。現在も改良が進んでA〜G型が開発されTV、レーザー、、赤外線、レーダー等の誘導方式がある。(AGM-65は空自では使っていない・・・海自ではP-3Cに搭載する構想もあるらしい(未確認・米海軍では既に運用している)) |
|
舞妓さん | まいこ・さん |
94年の航空自衛隊40周年を記念して施されたスペシャルマーキング機(87-8404)の俗称。当時、マニアの間でこう呼ばれていた。航空自衛隊創設40周年の
記念塗装を施された、このF-4EJ改404号機は、94年9月4日の小松航空祭で初めて一般にも披露された。胴体部が真っ白にペイントされていたことから「舞
妓」と言われたのだろう。10月1日に百里基地で行われた40周年記念行事の時には胴体部に水色のラインが追加され「SINCE 1954〜1994」と記入されてい
る。続く10月2日の百里航空祭、10月9日の入間航空祭、10月15日の浜松航空祭と立て続けに展示されている。 ※「舞妓」は「舞子」と書く事もある。 |
|
マクダネル | まくだねる | McDonnell |
言わずと知れたF-4ファントムIIを世に送り出した航空機メーカー。1939
年に創設され、創始者はジェイムズ・スミス・マクダネル氏。1945年に米海
軍初のジェット戦闘機FD/FH-1ファントムの開発を行うことから軍用機メー
カーとして1歩が始まった。当時は第2次大戦中でもあり、大手の航空機メ
ーカーが既存軍用機の生産で手一杯なのと、軍の要求がかなり大雑把だった
こともあって、マクダネル社としては艦上ジェット戦闘機の開発経験を手に
入れることになる。
その後、艦上戦闘機F2HやF3H、米空軍のF-101を開発して戦闘機開発のノウ
ハウを蓄積していき、それまでの集大成といえるF-4ファントムIIを開発
した。F-4シリーズの製造は1958年からで、1959年にファントムIIの名称
が公表された時はマクダネルF-4ファントムIIであった。1967年4月28日
にダグラス社と合併して、社名もマクダネル・ダグラス(McDonnell-
Douglas)となり、当時はF-4生産が月産平均63.4機という量産の最盛期
(2000機目を越えたあたり)を向かえていて、このために呼び名もマクダネ
ル・ダグラスF-4ファントムII(McDonnell-Douglas F-4 Phantom II)
となった。
その後も空軍にF-15、海軍にF-18、海兵隊にもF-18とAV-8Bを提供していく
が、1997年8月1日にボーイング(Boeing)社と合併を行い、社名はボーイン
グだけとなってしまったのでマクダネルの名前は消えてしまった。なお、
F-4の生産は終了してからであるので、F-4を指す機体名称にボーイン
グの名前は付かない。 |
|
水噴射 | みずふんしゃ |
エンジンへの空気吸入量を増加させ、推力を増加させることが可能で、F-4で速度記録に挑戦するさい水・エタノール噴射装置を取り付けた機体があった。また、イスラエル向けに提案されたRF-4Xに取り付けられる案もあった。 |
|
迎え角 | むかえかく |
飛行中の航空機がどのくらい上下に何度向いているか?は迎え角で表す。基準となるのは空気の流れで、正面から来る空気の流れより主翼の取り付け角が上向きならプラスで下向きならマイナスとなる。これにより速度や離着陸に適正となる主翼の角度に合わせるように機体を操作し、通常は高速飛行する時は揚力(空気抵抗)を減らすため若干マイナスで、低速なら揚力を増やすためにプラス側になる。迎え角を計測するのはAOAセンサーと呼ばれ、F-4EJの場合は機種右側のラジオコールナンバー付近に、小さな三角錐状の突起物のかたちで設置されている。AOAとは迎え角のことで「Angle Of Attack」の略である。 |
|
武蔵 | むさし |
1992年の戦技競技会から第305飛行隊が使用しているスペシャル・マーク
で、兵法の達人「宮本武蔵」がモチーフであり、機種がF-15Jとなっても受
け継いで使用している。
宮本武蔵は安土・桃山時代から江戸時代初期といった戦国の世を生きた人物
で、13歳から29歳まで60を越える決闘をしたが1度として負けなかった剣豪
として知られている。剣だけでなく手裏剣や体術といった武道も体得し、い
ろんな職種からも手本となる事は全て教えとして学ぶといった姿勢もある謙
虚さや、文武ともに通じてこそ人間として道であると言った考えも持ってい
て、事実、書・絵・彫刻等の作品を残している。トレードマークである二刀
流(二天一流)は持てる道具は使うべき時と所があるといった考え方の表れ
でもある。
晩年に武蔵が書き残した兵法の解説書である「五輪書」は、剣による戦い方
や心構えについて述べた書で、地・水・火・風・空の五巻から構成されて
「戦いに勝つ」ことに拘って記述されているが、その内容は現代の日本人ビ
ジネスマンにも通じることから、今でも信条の手本としている個人・企業が
ある。 |
|
迷彩塗装 | めいさい・とそう |
F-4EJを導入した当初の塗装は、当時の米海軍の標準塗装であった上面がガルグレーと下面が白という塗装だった。米海軍の標準塗装は塩害防止という意味で全塗装が採用されていて、朝鮮戦争時までは第2次大戦末期に制定した全面グロス・シーブルーだった。その後、航空機により戦術核兵器運用が考えられるようになり、1955年2月に標準塗装は白っぽい塗装に変更された。これは核攻撃によって予想される強烈な閃光から機体を守ることを目的に、下面を白としたもので迷彩効果を狙ったものではない(さすがに全面白では目立ち過ぎるので、上面はガルグレーなのだろう)。F-4Cを採用するまで無塗装のナチュラル・メタルが主だった米空軍であるが(塗装が無い方が機体は軽くなり、性能は上がった)、F-4のアルミ合金がが腐食防止に塗装が必要だったこともあり、海軍と同じガルグレー塗装を採用した。しかし、すぐにベトナム戦争に投入されたため、基地に駐機中でも少しでも敵の攻撃を避ける意味から迷彩が必要とされて、1965年にジャングル迷彩(ベトナム迷彩)を採用した。1970年代からは空中での低視認性が重要とされ、米海軍・空軍ともグレイ系の制空迷彩(カウンター・シェイド)を採用して、機体形状による色の明暗差を減らして、背景にも溶け込めるような塗装となっている。航空自衛隊もこれに習い部隊ごとに研究を行っており、1980年代には様々な迷彩機が登場していた。米軍の場合は中央の研究機関で検討されてから全部隊に指示されるが、自衛隊の場合は各個に研究させて優良なモノを採用する方針だったようだ。結局、採用されたのはF-15と同じ迷彩色ということで、1992年頃からF-4EJの塗装変更が行われたが、塗り分けパターンはガルグレー塗装時と変わらないから、費用を極力抑えた上での変更といえる。 |
|
名称 | めいしょう |
F4H-1として開発されていたF-4に「Phontom II」という名称が正式に付けられたのは。1959年7月3日のマクダネル社創立20周年のセレモニーの席上の時であった。戦闘機の場合、機体の愛称はメーカーが付けて、それを軍が承認する場合が多く、メーカーごとに関連性のある独特な名称が付けられている。マクダネル社の場合、ファントム(FD/FH-1)、バンシー(F2H)、ゴブリン(F-85)、デモン(F3H)、ブードゥ(F-101)、ファントムU(F-4)とF-4までは霊界シリーズであったが、その後はイーグル(F-15)、ホーネット(F-18)と有翼シリーズになっている。ちなみにメーカーが名称を付けなかった機体にGD社のF-111、ロッキード社のF-117等がある。逆に名称がコロコロと変わっているのが、まだ正式採用となっていないロッキードF-22でスーパースター→ライトニングU→ラプター |
|
女神(北欧神話) | めがみ |
96年の戦競で、RF-4Eに描かれていたのは「ああっ女神さまっ」に登場する運命を司る女神(ノルン3姉妹)で、過去を司る長女ウルド(903号機)、未来を司る三女のスクルド(908号機)、現在を司る次女のヴェルダンディ(909号機)である。ちなみに、アニメでは小さくなった姿のバージョンもあって、こちらの方がコミカルで可愛いのだが・・・・ |
|
モーボ | もーぼ | Mobile Control Unit |
MOBとはMobile Control Unitのことで、滑走路端にあるガラス張りの移動トレーラーのような施設をいう。着陸する機体の状態(脚が正常に出ているか?等)や、離陸機の状態を監視するのが主な目的で、着陸機が滑走路に接地する付近に置かれる。離発着機がある場合は必ず1人は飛行隊の士官が常駐していなければならないそうだ。一見、何もないところにポツンと置いてあるように見えるが、地中を通って電源が来ており無線設備は整っている。室内には一応エアコンがあるそうだが、見晴らしが良いところだけに自然の恵みも素晴らしく、文明の利器は気休め程度にしかならないそうだ。なぜ移動式なのかと言うと、台風等で天候が悪いときに逃げるためだそうだ。 |
|
モスボール | もすぼーる |
モスボール(mothball)とは「しまい込む」「退役させる」という意味。軍用機には用途廃止ではないが、管理上の都合で使用されない機体を保存する場合があり、機能を維持するために機体全体をプラスティック樹脂膜で覆って密封状態で保管すること。モスボール解除されても現役機同様に使用されることになり、空自でもT-33Aでモスボール解除した機体を使っていた前例がある。F-4EJでもEJ改やRF用に改修されなかった12機が99年から2000年にかけてモスボール処理を施され、小牧基地内(第2補給処)に保管されている。この場合でも航空機としての籍は残っており、第1輸送航空隊の所属機として保管されている。 |
|
モデル98A | もでる・98A | Model 98A |
ファントムUの最初の原形として1953年8月25日にマクダネルが海軍に提案したのがモデル98Aで、別名をF3H-Gとも言ってF3Hデモンを発展させたような単座の全天候多用途双発戦闘機として計画されたが、海軍は攻撃機として評価して1954年10月に複座の攻撃機AH-1として試作契約を行った。その後に海軍から搭載エンジンをJ65からJ79への変更委指示と、複座の艦隊防空戦闘機への仕様変更に伴って1955年6月23日にF4H-1と名称が変更された。 |
|
与圧服 | よあつ・ふく |
F-4EJには、採用当時もっとも脅威とされていたTu-22ブラインダーのような高々度で飛来する爆撃機に対応するため、パイロットが高々度でも耐えられる予圧服を着用できる装備を追加している。予圧服は高度15,000m以上で作戦を行う場合に装着するもので、宇宙服と同じ様な密閉式構造となっており重量は6Kgもある。機体から離れている時はカバンサイズの空気供給機を持ち歩かなくてはならないのと、ヘルメットだけでも700万円(当時)と非常に高価なのが難点。映画「ライト・スタッフ」でチャック・イェーガーがNF-104に乗るときに着ていたモノも予圧服。この装備は他のF-4には無い装備である。 ある、ファントムライダーの方の与圧服体験談です。
|
|
要撃戦闘飛行隊 | ようげき・せんとう・ひこうたい | Fighter Intercepter Squadron |
F-4やF-15等の戦闘機を直接運用する部隊で、隊内の管理を行う総括班、パ
イロットが所属する飛行班、航空機の整備を行う整備小隊本部から構成され
ている。F-4やF-15の飛行隊には常時稼働定数として22機(実際にはもう
少し多い)が配備されているから、要員もそれを動かせる人数が必要とな
る。主な任務は全天候での日本に侵攻しようとする航空機の阻止、及び侵攻
された場合の迎撃を行うことで、航空自衛隊が存在している最大要因を受け
持つ。侵攻機を阻止すると言うのは防空能力の存在を対外的に示すことで、
航空自衛隊の戦力そのものが阻止力となる。
空自の発足当初で主な迎撃対象とされていたのは爆撃機であり、F-4導入時
でもソ連のTu-22ブラインダー爆撃機のような高々度からの侵攻を阻止する
能力を求めていた。現在は機動性の高い戦闘爆撃機や戦闘機の要撃に主眼を
置いている。副次的に支援戦闘飛行隊としての任務もあり、頻度は少ないが
F-15J部隊でも対地攻撃訓練を行っており、F-4EJ改を装備する部隊には更に
対艦攻撃も行えるようASM-1、ASM-2も配備されている。
F-4の要撃飛行隊は最盛期で6個あったが、2001年現在では、第301飛行隊と
第302飛行隊の2個のみである。 |
|
用途廃止 | ようと・はいし |
略して用廃。事故や機体寿命により使用されなくなった機体は、航空機としての籍を抹消され、戦力や資産としても除外される。空自F-4の場合、2000年までに機体寿命で用廃になった機体はまだ無いが、事故により修理不能となって用廃処理された機体はいくつか存在している。用廃となった機体は解体処分されるか、基地のゲートガード等として機体保存されるが、例え機械的に飛行可能状態で保存されても、航空機としての登録が無いので飛行することはできない。 |
|