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1978年12月1日、茨城県百里基地 中部航空方面隊 第7航空団隷下に、首都圏防空の重責を負い2番目のファントム部隊として編成された。F-104部隊である第206飛行隊を母体として誕生した部隊であり、正式に編成された12月1日の前日までF-104の整備が行われていた。先に編成されていた第301飛行隊に追いつけ追い越せを目標に、厳しい訓練の甲斐もあってか戦技競技会でも数度の優勝を手にしている。
編成当時は第206飛行隊の整備員も大勢残っており、伝統を重んじる気風があり、部隊マークをはじめとして多くの伝統を引き継いだ。

1978/12/01 茨城県百里基地に発足。(母体は、F−104Jの第206飛行隊だった。)
部隊マークの梅は、茨城県県木からデザインされたもの。
ファントムが導入される以前、13年間百里基地で首都圏の防衛の任務に就いていた206,207飛行隊の部隊マークが引き継がれたが、同じ梅でも全くデザインが異なっている。

第305飛行隊 新編 初代隊長 朝倉範夫 (1978/12/01-1980/03/17)

梅マークは県花からデザインされたものと思っていました。県木からなんですね。(雑誌にも間違えて紹介されていることがあるようです。)ちなみに県花はバラだそうです。リコさん情報感謝!!

 
1979/09 対領空侵犯措置任務開始  
1980/03 2代隊長 佐藤守 (1980/03/17-1981/06/16)  
1980/05 ホットスクランブル100回達成  
1981/06 3代隊長 大屋利光 (1981/06/16-1983/03/16)  
1981/12 ホットスクランブル200回達成  
1983/03 4代隊長 久我哲夫 (1983/03/16-1984/08/01)  
1984/08 5代隊長 三輪泰彦 (1984/08/01-1986/08/01)  
1984/09 301SQの対領空侵犯措置任務解除により、第7航空団でのアラート任務の75%を負担していたものの、単独のアラートとなる。  
1985/02 305庁舎、格納庫移動  
1986/08 6代隊長 定作勉 (1986/08/01-1988/08/01)  
1986/08 日航機墜落事故に対してスクランブル発進で捜索を行う。  
1986/11 百里基地で開催された戦技競技会では、初優勝!!
模擬ミサイル射撃および応用ダート射撃参加飛行隊、301SQ〜306SQ。
機首にファイヤーマークを描いたマーキングはファンにも 好評!かっこよかったです。
 
1988/12/15 ナンバーシップ27−8305号機に開隊10周年。
記念塗装を施し、祝賀飛行を実施!
 
1988/08 7代隊長 渡邊聖夫  
1988/12/17 開隊10周年記念式典が催された。  
1989/12/04 百里基地で訓練展示を実施  
1990/03 8代隊長 谷志郎  
1990/09 千歳基地で開催された戦技競技会で優勝!
インテークベーンにはピンボールが描かれボールの代わりに20o弾というのが笑える!またインテークにはスプークの入った部隊マークが入っていた。
 
1992/07 三沢基地で開催された戦技競技会ではF−4EJ部門とF−4EJ改部門とで分かれている。
F−4EJ部門、305SQ、302SQの2個飛行隊の参加、305飛行隊優勝!
マーキングは全面にブルー系の2色迷彩に加えてインテークベーンにはTACネームとスプークのイラストと共にFIGHTING305の文字。反対側のインテークベーンには武蔵のイラストが描かれている。
この年の戦競が305飛行隊、F4EJでの最後の参加の年となってしまいました。
 
1992/08 9代隊長 山本忠夫  
1992/12 基地開庁25周年  
1993/05 F-4部隊として最後の航空祭  
1993/07 対領空侵犯措置任務終了  
1993/07/20 この日を最後に305飛行隊のF−4EJファントムの運用を終了。
同日、記念式典が催され着ぐるみを着たスプークが登場409号機の機体にはSAYONARAの文字が。

この時の写真、持ってる人いませんか?

F-4EJ対領空侵犯措置任務終了記念プレート
 
1993/07/30 第305飛行隊のF-4班は解散し、F-15部隊となる。  

 

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