1968年 | F−86Fの後継機としてF−4EJが採用決定! |
1972年11月 | 茨城県百里基地に臨時F−4EJ飛行隊として発足 |
1973年10月2日 | F−4EJ機種転換操縦課程を開始 |
1973年10月16日 | 茨城県百里基地、第7航空団に臨時飛行隊を経て正式に発足。(当初の予定では、7月1日だったが、#304の事故により、延期されていた。) 日本で最初のF−4EJ部隊、マザー・スコードロン。 部隊マークは筑波山のガマガエルをデザインしたもの。首に巻かれたマフラーには、第7空団を表す7つの☆がある。 訓練から無事カエルという意味合いも含まれているケロヨンの愛称で特に女性に人気があったようです。 |
1976年 | ケロヨンマークが少し大きくなり、現在の大きさになった。 |
1978年5月 | 小松基地で行われた戦技競技会(射撃大会)に初参加! 参加飛行隊は301SQ〜304SQの4個飛行隊。 結果及びマーキングについては資料不足の為、不明。 ご存知の方教えて下さい! |
1979年10月 | 前年と同じく小松基地で戦技競技会行われる。(ACM、空中格闘戦技) 参加飛行隊、301SQ〜305SQ 301飛行隊、優勝! マーキングは航空自衛隊始まって以来これほどに派手な塗装が施されたのはこの79年の戦競だけだった。302飛行隊以外の4個飛行隊はそれぞれ異なる色の帯を胴体後方と主翼上下にディグロウで塗装したもの。301SQはオレンジ色。 |
1980年11月 | 千歳基地で行われた戦技競技会。 この年に行われた戦競は前年の同一機種同士の空中戦から踏み出した、本来の空中戦の姿である異機種による格闘戦DACT(Dissimilar Air Combat training)大会となった。 結果は301飛行隊優勝!V2達成!! マーキングはアメリカ海軍が研究したフェリス・カモフラージュ風塗装を採用した。 ライトブルー系とダークブルー系の2種類の迷彩。 なんと、アンチグレアまで塗装するという徹底ぶりだった。 |
1985年3月2日 | 百里基地でF−15の204SQが編成された為、宮崎県新田原基地に移動。 第5空団の所属となった為カエルのマフラーの☆が現在の5つに変更。 |
1989年11月 | 戦技競技会天候不良により中止となる(小松基地)。 この年の301飛行隊のマーキングはファンの注目を集めた。 機種に赤い目をしたシャークマウス、尾翼は黒く塗りつぶし、何より目立ったのが胴体部分に大きく書かれた「Amigo」の文字! 301飛行隊の戦競への意気込みが伝わってくるマーキングでした。 |
1992年7月 | 小松基地で行われた戦技競技会、90年戦競からF−4EJ改が登場!(306SQ) その為、92年戦競はF−4EJ部門(302SQ、305SQ)とF−4EJ改(301SQ、306SQ)とで分けられた。 F−4EJ改は301飛行隊が、優勝! マーキングはライトグレイ系の迷彩塗装機354号機、タンクは黒で塗られ301の文字と共にケロヨンマークが描かれていた。 他にまるでRF−4Eのような迷彩を施した427号機、354号機と同じようなカラーの迷彩機。しかし354号機とは異なる模様をしており隊員達からはモーモー号という愛称でよばれていたようだ(牛迷彩?) |
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